書けたら書く日記

書けたら書きます

パラレルワールド

わたしは今まで、ありえたかもしれないもう一つの人生について、およそ考えたことがなかった。

都合8年近く付き合いを続けた(最初の2年をのぞいては、それは私の独りよがりな思いによる不自然な付き合い方だった)元恋人への未練を断ち切ることができたのは、ごく最近のことだった。

京都文化博物館で行われるダリについての講演会に参加するため、土曜日朝の出町柳駅行き特急に乗り込むと、目の前に元恋人と酷似した男性が現れた。彼の隣には奥さんらしき女性が座っており、ベビーカーに乗った2歳ぐらいの男の子をあやしていた。

奥さんとシートを挟んで真横に立ったわたしは、動揺をおさえるためにiPhoneに入れた音楽を聴きながら持参した小説を読もうとした。が、気になって何も頭に入ってこず、結局は電車に乗っている間じゅう彼が元恋人かどうかの判断をするという行為に没頭した。

結論から述べると、彼は元恋人ではないらしかった。しかし、それはあくまでもわたしの推測の域を出ない結論である。それほどに似ていた。顔や体型はもちろん、髪質やファッション、ちょっとした仕草や声にいたるまで、その時点で入手しうる彼に関する情報のなにもかもがわたしに元恋人を想起させた。

彼を観察している間、わたしはずっと彼が元恋人ではないと決定づける情報を必死に探し続けていた。と気づいた瞬間、わたしの中にまだ元恋人に対する淡い未練が残っていることを自分自身で認めざるを得なくなってしまった。

彼は終始配信されたばかりのポケモンGOをプレイしながら、楽しそうに奥さんと談笑していた。元恋人は、電車内など公共の場所では決してそのような素振りはみせなかった。元恋人は、病的なまでに自意識過剰で、人の多い場所では極度の緊張状態に陥り、鋭い眼光でわたしを含む周囲のあらゆるものを睨みつけ、いつまでも怒ったように口をきかなくなった。

そんな元恋人とは対照的に無邪気に笑う彼を見て、わたしはかすかな、しかし決定的な敗北感にうちひしがれていた。彼はおそらく元恋人ではないだろう。でも、元恋人がいまこの瞬間、この彼と同じように、わたしの知らない女性と幸せな談笑をしていないとどうして言い切れるだろう?わたしはほとんど泣きそうになりながら、なにか違うことに集中しようとしたが、どうしてもできなかった。

もしあの時、わたしがああしていなければ。
もしあの時、元恋人がわたしにこうしてくれていたら。
今ごろわたしと元恋人も、こんなふうに自然に談笑できていたのかもしれない。

そんな不毛な思考をどうしても止めることができなかった。